インタビュー「楽器と人」

vol.08

意図した以上の感情が表現できるのは
呼吸を使うハーモニカならではの魅力

寺澤ひろみ

Profile
今月ご登場いただくのはハーモニカ奏者の寺澤ひろみさん。明治大学ハーモニカソサエティー出身で、ドイツで行われたワールドハーモニカフェスティバルでの優勝経験を持つ実力派。ジャンルを問わず箏・尺八、ピアノトリオ、弦楽四重奏、ウインドオーケストラなど多彩な楽器と共演するほか、テレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。そんな寺澤さんにハーモニカへの想いを伺った。

原点は父の吹くハーモニカ

 ——寺澤さんが最初に触れた楽器は、やはりハーモニカだったんですか?

 そうですね。父がハーモニカのプロ奏者だったので、ハーモニカは私にとって一番身近な玩具であり、家では常に父の吹くハーモニカが流れているような状況でしたから、楽器との出会いといえば、間違いなくハーモニカでしょうね。

 ——お父様からハーモニカを勧められたり教えていただいたことはあったんですか?

 私が幼い頃は、まだ小学校でハーモニカを習う時代でしたから、流石にハーモニカ吹きの娘が学校でドレミも吹けないんじゃ心苦しいと、楽器の持ち方やドの位置は教えてくれましたが、忙しい人でしたので、きちんとレッスンを受けたことはありません。ただ、当時は父の盟友や先生方もバリバリ第一線で活躍されていましたから、質の高いハーモニカ音楽を聴く機会は非常に多かったと思います。

 ——自然と生活にハーモニカがあったわけですね。反発したことはなかったんですか?

 父の生徒さんからしてみると、私はいつも父に教えて貰えるんだから羨ましい、みたいなことを思われるんですよね。その実、父は帰ってくるのが遅いので直接教えて貰うようなことはなくて。なのに上手く吹けて当たり前と言われるのがすごく嫌で。音楽自体はすごく好きだったので聴くことはずっと続けていましたが、小学校高学年くらいから、だんだんハーモニカを吹かなくなっていきました。

 ——父親がプロ奏者ならではの悩みですね。高校時代には吹奏楽部に入っていたとか?

 伯父が楽器店を営んでおりまして、高校の入学祝いに何故かアルトサックスをくれたんです、やったこともないのに(笑)。そんなきっかけもありましたし、中学でも音楽がやりたかったんですが、通っていた中学に吹奏楽部がなくて、高校では吹奏楽部に入ろうと思っていたんです。それで吹奏楽部に入って、「アルトサックスやりたいです!」って言ったら「ダメ、キミ経験者じゃないから」と(笑)。なので高校ではずっとパーカッションを担当していました。

 ——その頃はハーモニカは吹いていなかったんですか?

 全然吹いていなかったですね。ただ吹奏楽部でパーカッションをやった経験が、その後の音楽活動においてとても良かったと思っていて。実は父はハーモニカ奏者になる前は、プロのベーシストとして活動していましたので、ベースラインを意識した聴き方は自然と身に付いていましたし、それプラス、パーカッションをやったことで、ドラムのラインやリズムが非常に入ってくるようになって、今自分が演奏したり人に教える時に、非常に活かされています。

父から貰った直筆の楽譜

 ——再びハーモニカを吹くようになった経緯を教えて下さい。

 高校生で進路に悩んでいたとき、たまたま私の地元で明治大学ハーモニカソサエティー(ハモソ)の定期演奏会が行われて見に行ったんです。でもそれは私の知っているハーモニカとはかけ離れていて⋯⋯。ハーモニカが全然目立っていないと言いますか、バックのギターやドラム、ピアノ、フルート、クラリネットなどは皆さん経験があるのかすごく華やかなんですが、ハーモニカは扱い方が分からず戸惑っているようで。

 私と同じ年代だと、学校でハーモニカを習わなかった人もいるわけで、未知の楽器なんですよね。後から知ったことですが、ハモソには指導者がいるわけではなく、先輩から習うので、皆さん訳も分からないままやっているような。だから後ろのバンドとハーモニカに格差を感じたんです。私が知っている父が吹くハーモニカは、あくまでもハーモニカがメインで、一つの楽器として自立しているものだったので、ある意味ショックでしたね。

 ——でもその後に明治大学に進学されていますね。

 演奏会から帰って、父にキレたんです。「お父さん達はプロなんでしょ。何で彼等にちゃんとしたハーモニカを教えてあげないの?」と。父は短気で怖かったんですけど、生まれて初めて食って掛かったんです。そうしたら口論になっちゃって、「そんなこと言うなら、お前明大に入ってみろ」「分かったよ、入るよ!」と(笑)。今になって思えば、大人には大人のしがらみがあったのでしょう。父も私が明大に入れば縁ができて教えに行けると思ったのかもしれませんね。

 それで明大を受けたら運良く入ることができ、勧誘を待たずに自分からハモソの部室に行って、「入りたいんですけど」って。

 今考えると生意気な新入生だったと思いますが、結果として、ハモソのメンバーに父がやっているようなハーモニカの魅力や、私がいろいろな先生に教わったことを伝えたり、厚木で行われたハーモニカのアジア大会に出場したり、残念ながら父が教えに来ることはありませんでしたが、伝手のある先生方に教えに来ていただくこともできました。

 ——寺澤さんと言えば複音ハーモニカというイメージですが、ハモソではどういったものを吹かれていたんですか?

 今は若干違うようなんですが、シングルクロマチックハーモニカというものを使っていて、それがソプラノとアルトの2種類があります。一般的にクロマチックハーモニカというと、スライドレバーが付いているものですが、シングルクロマチックハーモニカは、昔小学校で使われていた2段になっているハーモニカと同じように、下の段が白鍵、上の段が黒鍵と分かれていて、上下を上手く吹き分けるというもの。一般の部員はそれを使い、上級生などソロを取る場合にはスライドクロマチックハーモニカを使うわけです。他の大学では複音ハーモニカやホルンハーモニカを使うところもあるようです。

 ——そうすると、大学時代は複音ハーモニカを吹かれていないんですね。

 そうですね。複音を本格的に始めたのは、父が亡くなってから⋯⋯。私が20歳のときに、父が記念に直筆の複音ハーモニカの楽譜(数字譜)をくれたんです。『魔笛の主題による変奏曲』という非常に難しい曲で、「これは僕の経験と知識が全部詰め込んであって、難しいけど僕としては何処に出しても恥ずかしくない楽譜だと思っているから、もしキミが複音ハーモニカに興味を持つようになることがあれば、その時にこれを持って来なさい」と。でも貰ったはいいけれど、ハーモニカを9本も使うような難しいアレンジなんですよ(笑)。だからずっと吹かずに、机の中にしまい込んでいたんですよね。

 ——大学4年生の時にドイツのワールドハーモニカフェスティバルの複音ハーモニカ部門で優勝されていますね。

 父が亡くなったのが2001年の2月。父は口には出しませんでしたが、私がハーモニカとずっと仲良くやっていくことに期待していたと思うんです。ちょうどその頃、私はハーモニカの指導資格も取って、一応、父の期待にも応えたしこれで終わりだと思ってたんですが、父が亡くなってしばらくぶりに父の部屋に入ったら、父の楽器と目が合っちゃったんです。その瞬間「あ、いけない忘れてた」と、20歳の時に貰った楽譜をしまったままで、全然吹いていないことを思いだしたんです。

 それで父の楽器を使って『魔笛』に挑戦してみようと思ったときに、母が「今年世界大会があるから出てみれば」と。父も何度か世界大会に出場していて、ドイツに私と母を是非連れて行きたいと言っていたので、「あなたの卒業旅行の前倒しでドイツに行きましょう。あなたはそのついでに出場すればいいから。吹けなくたっていい、くらいの気持ちで」と言ってくれて。それから約半年後の世界大会に向けて練習を始めたんです。

 ——半年で『魔笛』をマスターされたんですか?

 ビックリですよね。小学校低学年以来の複音ハーモニカですから、基礎の基礎から思い出しながら、卒論そっちのけで取り組みました(笑)。

 私はこの大会後は、ハーモニカを続けるつもりはこれっぽっちもありませんでしたから、唯一の心残りである『魔笛』が吹ければ結果なんてどうだってよかったんです。とはいえ、流石にドイツに行って「吹けません」と帰るわけにはいきませんから、たどたどしくても良いので通して吹けるようになろうと、半年間必死で練習。あまりのストレスに難聴にもなりました(笑)。

いつの間にかプロ奏者に

 ——プロ奏者になろうと思ったのはいつ頃?

 ドイツから帰ってきたあとです。日本に戻ってきたら、世界が反転していたんです(笑)。その頃、私は内定も貰っていて、このまま普通に就職してゆるゆる生きていくつもりでいたんですが、帰ってきたら演奏会の依頼が次々と舞い込んでくるわけです。私的にはもうハーモニカを止めるつもりでしたから断ろうとしたんですが、「世界で優勝したのだからそれは披露するべきだ」ということを言われまして⋯⋯。

 しかも依頼して下さる方は、世界で優勝したんだから、当然レパートリーも何曲かあるだろうと思っているわけで、いきなり2時間のリサイタルをやって欲しいとか、ゲストで30分吹いて欲しいとか言われるんです(笑)。「ちょっと待って、私1曲しかレパートリーないんですけど」という状態から、必死で練習をして、レパートリーを充実させて、気がついたら教えるようになっていて、気がついたらハーモニカでお仕事をしていたという感じです(笑)。人生何処で間違えたんでしょうね。

 ——現在使っている楽器について教えて下さい。

 父の楽器をそのまま使っていて、複音はトンボのNo.1521というモデル。材質などが少しずつ変わってはいるみたいですが、シリーズとしては今も販売しています。やはり楽器自体の厚み、重さ、吹き口の大きさだとかが、これが一番慣れているので使いやすいですね。個人的には木の鳴りが好きで、1521の木製ボディによる温かな音色も気に入っています。⋯⋯と言いながら、クロマチックはホーナーのアルミボディのものを使っていますが(笑)。

 ——クロマチックハーモニカも結構吹かれているんですね。

 小さい頃から、複音ハーモニカの人だから複音しか吹いちゃダメとか、クロマチックだからクロマチックしか吹かない、という考えにすごく違和感があって。それぞれの音色に特色があるわけで、私は演奏する音楽や編成に合わせて、持ち換えて吹くようにしています。例えばハリー・ベラフォンテのような、男性が歌う曲を吹くときはホルンハーモニカを使ったり、クロマチックなら、バイオリンと同じ音域ですからクラシックに合うとか。ハーモニカに垣根はないと思っています。

 ——寺澤さんにとってハーモニカの魅力とは、ずばりどういったところでしょうか?

 実はよく分からないんですよね(笑)。何度か「私は才能ないから止めたいな」と思うこともあったんですが、止めようとしても止められないし。でも頭の中に音楽が浮かんできたら、それは歌では表現できなくて、やはり一番表現しやすいのはハーモニカ。そんな私にとって一番身近なアイテムです。

 よく思うのが、呼吸がそのまま音になるので、非常に感情を乗せやすいということ。というか、自分が意図していない感情まで出てきてしまう。腹黒いところを隠そうとしても出てきちゃうみたいな(笑)。ココはこうしてみよう、ココならこうだ、と思う以上のものが出てくるのは、やはりこの吹き吸いのあるハーモニカならではと言えるのではないでしょうか。

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