インタビュー「楽器と人」

vol.09

前例がない音楽を生み出す楽しさ!

ninja beats ニンジャ・ビーツ

Profile
 ヒューマンビートボックスとウクレレのユニットninja beats。この、前例のないコラボから生まれる音楽は、意外にもクラブミュージック。ループされるビートとウクレレのリフが次々に変化を重ね、自然と体が揺さぶられるようなグルーブが生み出される。
 彼らの実力はドイツで開催された世界最大のインディーバンド・ライブコンテスト「エマージェンザ」で、6万を越える出場バンドの頂点に立ったことで実証済み。ウクレレの木村新さん、ヒューマンビートボックスの後藤優弥さんに話をうかがった。

サイパンでウクレレに、
M.ジャクソンでHBBに

 ——ウクレレとビートボックス、始めたきっかけをそれぞれ教えてください。

木村 新 僕は高校を卒業する17歳まで、父の仕事の関係でサイパン島で育ったんです。ウクレレを弾く人がとても多い国で、中学校の音楽の授業でウクレレがあって。日本でリコーダーを習うのと同じ感覚ですね。そこから徐々にはまって今に至る……という感じです(笑)。

 ——学校以外でも習っていたのですか?

木村 完全に独学です。インターネットはありましたけど、まだ動画がバンバン見られるほどの環境ではなかったので、日本から買っていった教本や雑誌で勉強していました。

 ——ウクレレの教本なら、サイパンのほうが豊富にあるイメージですが……?

木村 逆に浸透しすぎていて、口頭で教えるとか、目で見て覚えるとか、そういう文化なんです。本を読んでまで勉強する必要がないというか。

 だから年に一度日本に帰省するたびに、楽器屋さんに行ってウクレレの本をどかっと買い込むのが楽しみでした。

 ——目標にしていたミュージシャンなどは?

木村 ウクレレってやはりアイランダー(島民)の楽器というイメージが強いので、自分はその固定概念を壊すことを常に意識して活動しているんですが……。サイパン島に住んでいた日本人だからこそ生み出せる、新しい形の音楽があるんじゃないかと僕は考えていて。そういった新しい刺激やインスピレーションを与えてくれるアーティストさんは積極的に聴くようにしています。たくさんいるので、「この人!」というのはすぐ選べないですね。

 ——なるほど。では、後藤さんがビートボックスを始めたきっかけは?

後藤優弥 きっかけは……マイケル・ジャクソンかな?(笑) 両親の影響もあってマイケル・ジャクソンが好きで、小学生の頃ライブ映像を毎日見ていたんです。そのときムーンウォークを知って、“すごい、人間とは思えない!”って衝撃を受けたんです。ムーンウォークのような、人とは違う、周りがやっていない特技を僕も持ちたいと思ったときに、思い出したのがテレビCMで以前見たヒューマンビートボックス。

 僕も独学でしたが、新さん(木村)とは対照的にネット・オンリー(笑)。始めたのが2006年頃で、まだビートボックスが日本には浸透していませんでしたから、海外のサイトにしか情報がなかったんです。それだってヒップホップカルチャー丸出しのサイトの、端っこの端っこにちょこっと載ってるぐらい。でも一生懸命探して、小学生ながら英語の辞書を引いてやり方を勉強していきました。

 ——小学生で、英語の解説で学んだんですか!

後藤 そうなんです、日本人では演奏動画を上げている人すらほとんどいませんでしたから、仕方なく(笑)。

 教えてくれる人がいないから、2、3千円の安いボイスレコーダーに、ネットで見つけた音源とコピーした自分の声とを録音して比較して……。地道に中学校、高校と、いわゆる趣味としてやっていました。

 ——自分の演奏を人に聴いてもらうようになったのは?

後藤 高校の文化祭です。実はそれがゆくゆくのninja beatsにつながるんです。

 僕の行っていた高校の文化祭は、日本で二番目に規模が大きいということで注目されていて、そのステージを、関東の高校生イベント“青二祭(*)”の運営スタッフが見に来ていたんです。僕のパフォーマンスが目にとまって、青二祭に出演することになりました。青二祭の大きなステージに立って、観客の反応に手応えを感じられて。この経験は今の僕の原点です。

 2回目の青二祭出演のときに、エレキバイオリンを弾く同期と出会いました。そこで楽器とヒューマンビートボックスの共演に可能性を感じて、大学ではそのバイオリンの子と同じ楽器のサークルに入ることにしたんです。入部したサークルにいたのが2学年上の新さんです。

*さまざまなジャンルのハイレベルな高校生が出演する、学校の枠を越えた高校生による高校生のための文化祭。毎年約2,000人の来場者があり、過去の出場者の中から多くのアーティストを輩出している注目のイベント。

唯一無二の音楽
海外の人にも聴いてほしい

 ——ninja beats結成のきっかけは?

木村 後藤たちはすごく面白いことをやっていたのに、バイオリンの子が留学することになって活動ができなくなってしまったんですよ。もったいないから僕と一緒にやってみないかと、声をかけたんです。

 話してみたら楽器の可能性を探っていたり、海外志向だったりと方向性が重なるところが結構あって。

後藤 そこに行き着くまで、一人で黙々と模索したり情報を探したりという点も、今思えば似ていたのかもしれませんね(笑)。

木村 最初はJ-popとか、広く知られている、かつ比較的合わせやすそうな曲でやってみたんです。でも意外なほどまとまらなくて。それで後藤が普段一人でやっていたクラブ系ミュージックはどうだろうと言うのでウクレレを合わせてみたら、これがバシッとハマったんです。これはイケるんじゃないか? ということで、方向性がぐっと固まりました。多くの人に聴いてもらうには、まず名前を知ってもらおうと、ユニットを組んで2回目のステージは、もうコンテストの予選会でした。

後藤 やっていることが珍しいので、ライブをすると結構注目されてましたね。

木村 誰かしらに声をかけられて、人を紹介してもらったり、それが次のライブのきっかけになったり、なんだかわらしべ長者的でした(笑)。手応えは感じていたので、すぐにでも海外の人たちの反応が見たい、海外で演奏した既成事実が作りたいという思いで、とくにアテがあったわけでもないのに、ニューヨークに行ったのが結成半年後。1週間ぐらいの滞在でしたが、毎日ストリートやバーで演奏をしてきました。

後藤 反応も良くて、たくさんの方からチップをいただきました(笑)。何よりも自分たちの音楽に価値を見出してお金を落としてくれる人がいるという、それまでにない経験が自信になりました。

 ——その経験が2015年のエマージェンザ(ドイツで決勝大会が行われる、世界最大のインディーバンド・ライブコンテスト)への挑戦につながるのでしょうか。

後藤 全国大会で優勝すれば、無料でドイツの決勝大会に連れていってもらえるコンテストがあるというのは、うっすらと知っていたんです。別のコンテストに出場したときにエマージェンザのスタッフにスカウトされ、出場しました。

木村 何かしら活動をしていると、見てくれる人がいて。やっぱりわらしべ的ですよね(笑)。コンテストの規模も大きいんですが、優勝するとご褒美として出演させてもらえるフェスが観客3万人という規模。たくさんの人に演奏を聴いてもらいたいという願いが叶いました。

後藤 自分のプレイがどこまで通用するのか。こうしたらどうだ、これならどうする!って、観客の反応を体感しながら演奏するのがすごくいい経験になって、何より楽しかったです。

 ——そしてエマージェンザの副賞として、2016年の5月にヨーロッパツアーを決行されました。

木村 ドイツ、フランス、スイスの3カ国で10本以上ライブをやってきました。ここで感じたのは観客の反応がとても素直ということ。こちらがちょっとでも流れを悪くすると、すぐそっぽを向かれちゃう。いかに飽きさせないか、常に踊らせるにはどうするか、めちゃくちゃ考えました。

後藤 毎回ライブをやるごとに改善を重ねて。やってみてわかったことは多いですね。

木村 ドイツの雑誌で紹介してもらったり、ミュージシャンと仲良くなれて共同で音源を作る話が出たりもしているので、次に向けての収穫は大きかったです。また、攻めていきますよ。

2人の音をループさせて
生まれる独特のサウンド

 ——2人が使っている楽器、機材を教えてください。

木村 僕は、ウクレレカンパニーのキワヤ商会のエンドースで作っていただいた、ピアレスのカスタムモデルを使っています。今の僕の演奏は、電気を通して音を変えることが前提なので、ピックアップは必須。三味線と同じチューニングにして演奏することもあるので、弦をきつく巻く負担に耐えられるようにしてもらっています。他にも細かいこだわりを叶えていただき、使い心地はいい感じです! 僕の希望した、青いラインのデザインも気に入ってます。

後藤 僕はビートボックスといってもやっていることがちょっと特殊なんですが……、ボスのループステーションをメインに、エフェクターのカオスパッド、ミキサーを使ってます。自分と新さんの音を、ミキサーを通してひとつにして、その場で録音してループ再生させていっています。

木村 ビートボックスだけループさせる人はいるんですけど、楽器もループさせるのは僕らぐらい。だから、演奏してるんじゃなくて後ろで音源流してるんじゃないの?なんて言われることも(笑)。前例がない分手探りですが、他にない音作りを模索するのは楽しいですよ。

 ——基本的には機材がコンパクトなユニットですよね。

木村 そこも僕らの売り(笑)。音楽の独自性があっていろんなジャンルのイベントに呼ばれるんですが、普通のバンド形態よりも動きが取りやすく、結構どこにでも行けるというのは強みです。ファッションショーやエアレース会場、ストリートダンスのイベントなどでも演奏しました。

後藤 バンドに負けない音圧を出すにはどうしたらいいか、新しいジャンルに挑戦するには何が必要かと考えて、機材は日々改善。これでも大きくなったんですが、結成当初はカラオケで練習できたぐらいのコンパクトさでした(笑)。

木村 あ〜、懐かしい! 学生の発想で、スタジオを長時間借りるよりも安くできるので……って本当はダメですけどね。でも長時間、音を出しながら話し込めるのはありがたかった。量が質に変わることはありますから。

 ——今後の目標や、野望を教えてください。

木村 ウクレレが元になったクラブミュージックって特殊ですが、これが特殊でなくなればいいなと思ってます。ストリートやクラブ系のカルチャーに攻め込んでいくウクレレ奏者がいてもいい。だから僕たちがもっといろいろやって、前例として見てもらえたらって思うんです。エマージェンザに出たのも、優勝して海外に行きたいというより、海外に行ったらたくさんの人に聴いてもらえる、海外の大会で優勝した日本人だと言えば、日本で演奏を聴いてもらう機会も増えるだろうという思いからだったんです。

 今後は日本にいながら海外の人にも僕らの音楽を届けられるような活動がしていきたい。漠然としていますが、音楽の分野にとどまらず、一種のメディアのような形になれたら。これからますます音楽の消費のされ方自体が変わっていくと思うので、変化に対応して、音楽、コンテンツ、パフォーマンスとして攻め込んで行きたいんです。何しろ僕たちは前例のないことをやっているので、ここから先はこれまで以上に人の力を借りないと進まないと思うんですが、頭の中は妄想だらけです(笑)。これからも期待してください!

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