インタビュー「楽器と人」

vol.07

作曲家が育児書出版!?
音楽=遊びを楽しんでもらうために

鈴木豊乃

Profile
今月は作曲家・編曲家・指導者として活躍する鈴木豊乃さんにお話をうかがいます。鈴木さんの楽曲はピティナ・ピアノコンペティションの課題曲にもなっているので、ご存じの方も多いかもしれません。そんな鈴木さんが今年1月にリズム遊びの“育児書”を上梓。作曲家である鈴木さんがこの本に込めた思い、また子どもの頃からの音楽バックグラウンドなどを聞かせていただきました。

4つの楽器を習う音楽漬けの子ども時代

 ——現在、作曲家・編曲家・指導者として活動されていますが、音楽との出会いはいつだったのでしょう。

 3歳の頃です。2歳上の兄が近所のエレクトーン教室に通い始めて、幼い私はレッスンに付き添う母のお供でした。ところが見学していた私のほうが、兄より先に曲を覚え、ばんばん家の楽器を弾いて練習する。その様子を見た母が“習わせるのはこの子のほうだ!”と始めさせてくれました(笑)。

 ——“下の子あるある”な状況だったんですね。

 そうなんです。お教室に通い始めてからは週1回がすぐに物足りなくなり、2回に増やしていただき、それでも足りなくてピアノも始めました。今みたいにゲームなんかありませんでしたし、自営業で母も忙しかったので、楽器がオモチャでした。毎日何時間も弾いていたのでテキスト曲もすぐ弾けるようになってしまい、“ここはもうちょっと難しく弾いてみよう”とか、“これを足して長くしてみよう”ということを勝手に始めて。それに気がついた当時の先生が、ヤマハのお教室を勧めてくださって作曲の勉強も始めることになりました。

 ——ヤマハの音楽教室に入られたのは、比較的遅めだったんですね。

 9歳ですから遅いほうですね。初めてジュニアオリジナルコンサート(※)へ参加したのは10歳。合宿や海外公演にも参加させてもらいました。その頃出会った人たちは、今第一線で活躍されている方ばかり。先生や仲間からたくさんの刺激を受け、すごいスピードで上達しました。さらにタッチを強くするためにピアノを、ブレスやフレーズ感を体得するためにフルートを、リズム感を良くするためにドラムを習いました。全ては“エレクトーンがより上手くなるため”でした(笑)。

 ——音楽漬けの毎日だったんですね。どんなジャンルの音楽が好きだったんですか?

 基本はクラシックが好きでしたが……。私の父はカラオケ、それも昭和のド演歌が大好き。そして母は社交ダンスが好きで、聴くのはラテンミュージックやジャズ。家ではリビングで父のド演歌が、私の部屋ではバッハが、兄の部屋からは洋楽とギターの音が……そんな環境でした(笑)。

 当時は「コレどうなの〜」と思っていましたが、今思えばいろいろなジャンルを抵抗なく受け入れられる土壌があの頃作られたのだと思います。父が時々、演歌の楽譜を買ってきて「伴奏してくれ」なんて言うこともあって、キーを合わせて弾いてあげていたのが、ちょうど良く“移調”の特訓になっていました。

ハードルを上げてでも自分らしい演奏を

 ——大学では作曲を学ばれていますが、その頃テレビで“エレクトーンのお姉さん”をされていたそうですね。

 進学に当たっては作曲科しか考えられませんでしたが、受験準備をしている間もエレクトーンのコンクールには毎年出ていて、ずっと弾き続けていました。

 テレビは静岡の朝の情報番組で、大学3年生から3年間、週一度出演していました。毎回リクエスト曲を1曲と、CMに入る前の15秒を演奏して「何時何分です」と時報を伝えることがお仕事。“弾きながら話すこと”の難しさを経験しました。生放送ですし、毎回ものすごく緊張しました。それでもわざわざカメラさんに手元を映すようにお願いして、リアルタイムで弾いているところをしっかり見せていました。やるからには隠さず見せなくっちゃ面白くないって、自分でハードルを上げたんです(笑)。

 ——卒業後には、海外デモンストレーターもされていたとか。

 テレビのお仕事を卒業してから、電子ピアノの海外デモンストレーターをやりました。ヨーロッパや南米を中心に、一度に数か国を一か月ほどかけて回って。今のところ生涯で一番楽しいお仕事でした。

 先輩に「デモンストレーターは楽器を買ってもらうためのお仕事。上手い、すごいと思わせる演奏ではなく、“私も弾いてみたい!”と思ってもらえる楽しい演奏をしなさい」と教えられ、演奏だけでなく、パフォーマンスやアレンジのスキルもかなり鍛えられました。

 ——印象に残っている国や場所などはありますか?

 ボリビアですね。演奏中に電力が足りなくなって、電源が落ちてしまったんです(笑)。標高が富士山以上ある国なので、高山病にもなりました。スペインの修道院で演奏した時も電源が落ちて……、ハプニング満載でしたがそれも経験となった良いお仕事でした。

下手な息子のおかげで誕生したベストセラー

 ——現在の音楽活動について教えてください。

 息子の出産を機に、演奏のお仕事からシフトし、作曲・編曲・指導の3本柱が活動の中心となりました。アーティストへの曲提供やピアノ作品を書く作曲のお仕事。CDやコンサート用アレンジ、子ども向けの楽譜集を制作する編曲のお仕事。そして、小学生から音大受験生、音楽講師の方に作曲や音楽理論を教える指導のお仕事。

 ひとつのことに突き抜けている素晴らしい音楽家の方は多いですが、私の場合は3本のお仕事が影響し合って成り立っているんです。例えば、作曲のスキルは編曲に生かされますし、子どもたちを指導することは、音楽教室の現場のニーズを知りアレンジのヒントになる。3つのお仕事のバランスが取れてこそ、私らしい音楽活動ができていると思っています。

 ——編曲では特に子ども向けのピアノ・アレンジ譜のシリーズが10年続いているなど、数多く出版されていますね。

 子ども向けの簡単に弾ける曲集を出版したきっかけは、息子がピアノが下手だったからなんです(笑)。私が指導している生徒さんは、音大受験を目指すような音楽教室の中でもよくできる子たち。ずっとそういう子を見ていたので、それが普通のレベルだと思ってしまっていたんですが、いざ自分の“普通の子”を間近で見たら、ビックリするほどな〜んにもできないんです! そしてもちろん、練習もしない(笑)。それでもあれが弾きたい、これが弾きたいとは言うので、彼が弾ける程度に音をできるだけそぎ落としたごく簡単な楽譜を書いてあげたら、思いのほか長い時間集中して弾くんですね。

 “簡単”とされている市販の楽譜を見ても、幼児の手には難しいものが意外に多い。それならば、幼い息子と姪っ子の2人の手を借りてしっかり“検証された”、本当に簡単で弾きやすいアレンジ譜を私が作ろうと思ったんです。子どもたちがもっと楽しくピアノと向き合う時間を持ってくれたらという思いでした。

誰でもできて健康にもいい本!

 ——そして今年、『簡単!楽しい!おうちでできる音楽&リズムあそび』を上梓されましたが、こちらはどんな本なのでしょうか。

 知識も体力も道具も何もいらない、音楽の素養、特にリズム感が身につく遊びの本です。

 以前から子どもたちの“リズムの弱さ”を感じていて、簡単にリズムを体得できる方法を提案したかったんです。リズムって音楽だけでなく、例えば縄跳びの二重跳び、跳び箱など、リズムがわかればできるようになるものって生活の中にも多いんです。

 また子どもたちの習い事ランキングの上位は英語、スイミング、幼児教室。ピアノが入らなくなりました。その背景にはお母さんたちが忙しくなっていて、宿題の多い習い事が敬遠されること、音楽には英語のように“すぐに役立つ”イメージがないことなどがあるようです。

 でも音楽はコミュニケーションを取る有効な道具です。音楽を続けている子が他の分野でもすごく優秀であることは、これまでの経験で私も実感しています。だから音楽をやるということに構えず、“音楽っていいな”と思ってもらえるような本にしたいと思って書きました。

 ——初めて、“五線紙が出てこない本”を書かれたそうですね。

 そうなんです。音楽の知識がない人でも使える本にするために、楽譜を一切載せていません。音楽のプロを生み出すための本ではなく、親子で音楽を楽しんでもらうための本ですから。

 最近は子どもにおとなしくしてもらうために、スマホを持たせてしまう方が多いみたいですね。よくわかります。ひとつの機器でいろいろな遊びができるから飽きないし、コンパクトで持ち歩きもできる。服や手が汚れないし散らからない。でも、この本はそんなスマホの上を行くんですよ。目が悪くなりませんから(笑)。道具も充電もいらない、場所も選ばない。そして健康にいい。ほら、音楽遊びをやらないなんて、もったいない気がするでしょう?(笑)

 ——今すぐ、小さなお子さんを持つ友人に教えたくなりました(笑)。音楽に親しみ、さらにこれから音楽を志す人たちに向けて、メッセージをいただけますか。

 学生時代の授業で聞いたことですが、“音楽”はしょせん“遊び”なんです。遊びというのは英語で“プレイ”。スポーツをするのも、お芝居をするのも“プレイ”で、音楽を奏でることも“プレイ”。名詞だとシャレという意味もあります。音楽は音遊び。作曲も編曲も音を道具として遊んでいるにすぎません。たまに「どうして私は遊んでいるだけでこんなに苦しんでいるんだろう?」とも思いますが(笑)。気負わず、苦しまず、幅広い勉強をして音を楽しんで(=音楽)もらえたらいいですね。

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